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「幻探偵」ギャラリー

幻探偵 Vol.16
幻探偵

2008. 1.18- 2.10
(※期間中の毎週、金・土・日公演)
1/18(Fri),19(Sat),20(Sun),25(Fri),26(Sat),27(Sun)
2/1(Fri),2(Sat),3(Sun),8(Fri),9(Sat),10(Sun)

不思議地底窟 青の奇蹟

前売・当日とも 3,500円



作者の前書き 不二稿京

構築され制御された“私”という個の意識(エゴ)の底に眠る無意識の欲望(イド)
誕生し、殺戮し、滅するもの。生命について私はそう思う。イドは、生命欲という貪りそのもの。ならば「私」の本質は宇宙が拡張し続けるのに似て、無明の闇の果てを目指しDNAのレールを繋ぎ続ける貪りだろうか。

「阿弥陀仏の本願は老少善悪のわけへだてなく、すべての者を救うてくださること。ただ、念仏ひとつで阿弥陀仏に救うていただけよ。」という親鸞の言葉を知ったとき、私は一瞬、生命として存在することの謎を解く宇宙の構造が透けて見えた気がした。エゴから解放されることも出来ず、イドすなわち貪りのままに生命に固執する愚かな存在、決して悟ることなど出来ないそんな「私」をそのまま赦そうというのである。ただ在ればいいというのである。宇宙の意味や人生の意義の中に存在の拠りどころを探さずとも、ただ、今ここに在るという宇宙の奇跡に身を委ねればよいのだというのである。そして、「ただ、念仏ひとつで阿弥陀仏に救うていただけよ。」というそれは宇宙の循環するエナジーの一部としてただ、「私」がそこに在るということを受け入れる唯一の方法を教えているのである。

けれども私のような愚か者はその唯一の方法にさえ委ねることが出来ず、生き惑っている。

「私」は宇宙という生命の細胞の一つとしてただ在るだけである、と、そう認識したからといって、死という「私」の結末に向かって生きているという事実から解放されるものではないのだ。エゴから解放されることがない限りは。それゆえに、「私」は生命の虚しさにおののき、嘆き、あるいは美化し、時に生きる力を見失う。だからこそ「ただ、念仏ひとつで阿弥陀仏に救うていただけよ。」ということなのだろうが。

ところで、かつて親鸞の言葉とも出会う以前、誰が見てもエゴイストである若く愚かな私が、生きる力を見失い、絶望という感覚を知ったそのころ、無明の闇の中から「どんな生命でも生命は光に向かって還る」という誰かの声が私の中に聞こえてきたのだ。まるで甦るように。自分を蔑む心に気付いた時に自分が救われてゆくいわれを知る、畜生のような自分でも、救われたいと思う心を持っていることに驚愕し、私は私のような愚かなエゴイストでも生きていて良いのだよと赦された気がした。以来、悪人面を引っさげながらも私は生き延びてきたのである。

あれは生き延びようとする私のイドの声だったのかもしれないが。

阿弥陀仏が「帰命無量寿如来 南無不可思議光」であることを知ったのはごく最近のことである。



Cast
不二稿京、高橋茶太朗、七海大洋、保村大和、井内俊一、本城ケイタ、村田弘美、落合哲郎

Staff
作・演出・美術/不二稿京 照明プラン/七海大洋 照明操作/塔嶌昭三 音響プラン/高橋茶太朗 音響操作/亘理千草 舞台監督/亘理千草 写真/平早勉 制作/高橋茶太朗 協力/玉木康晃、玉木千裕、長野由利子、河井妙子、本弘、藤プロダクション、演劇実験室◎万有引力、ザ ドンビーシャイズ

「幻探偵」スチール
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