週刊オルガンヴィトー
毎週月曜日発行  2011年6月13日初号発行

週刊オルガンヴィトーが復活しました。今後とも宜しくお願いいたします。
週刊オルガンヴィトーとはオルガンヴィトーの劇団員によるページです。「表現者」としての修行の一環として、感じたことを何でもいいから書き記すことにより、自分の想い、考えを具体化するといった趣旨のもとに始まったものです。

バックナンバー
■□ 2011年 □■
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2011年 7月25日(月)(7号)  [7月26日(火)Rev.2][7月30日(土)Rev.3]

 
 

「」  ロキ不二稿(ろき ふじわら)

「キジコ永眠」  高橋 茶太朗(たかはし ちゃたろう)
キジコが死にました。このところ全く食事をせず、痩せ衰えていく一方だったのです。
25日(月)仕事に出ようとしていたら、痙攣が始まり、苦しそうな状態でした。もうダメか・・・と思ったのですが、何とか痙攣は治まり、水を飲ませてあげることぐらいしかできませんでした。
硬そうな床に寝そべっていたので、タオルケットの上に乗せてあげて出かけました。
覚悟はしていたのですが、仕事から帰ってくると、もう息はありませんでした。やさしく大人しい手のかからない猫でした。苦しみから解放されて良かったのか・・・?。
本日、26日(火)お葬式でした。お葬式といっても火葬してもらって骨を拾っただけなのですが、いつもの事ながら、痩せて骨と皮だけになった身体が横たわり、火葬用の釜に入っていく姿を見るのは辛いです。
キジコ、よくがんばったね。

さて、「トンマホーク号の冒険」初日から大幅にシーンをカットし、2日目はタイム的には理想の上演時間に近づきました。残すは後2ステのみ。更に良いものを目指して挑みます。お楽しみに。

「アナログか?」  塔嶌 昭三(とうじま しょうぞう)
トンマホーク号の公演に向かう直前の日曜日。12:00ピッタリにアナログ放送が終了すると言うので、その瞬間を見ようと幹生と2人でTVの前に座っていた。
一応、地デジ化対応のTVを持っているがアナログ放送を選択して、その時を待った。
ポーン、12:00になった。
ところが、過ぎても普通に放送が続いている。
どうやら我が家のはケーブルTVが入っていて、デジアナ変換と言って古いTVでも観れるようになっているらしい。
なあんだ、慌ててTVを買い替えなくても良かったのか?

「ドント・トラスト・オーバー・サーティー」  水口 真光(みずぐち まさみつ)
『宇宙船トンマホーク号の冒険』一週目が無事に終わりました。有難うございました。
課題、反省点などが自分なりにも多々あり、それについて何か書こうかと迷いましたが、やはりまだ気持ち的に渦中にあり、文章化できる程には客観視出来ていないので、また別の機会にあらためて書けたらと思います。
また土曜、日曜日と、二週目が始まります。引き続きどうぞ宜しくお願い致します。
※以下、今週の本文になります。

もう古い話題かもしれないが、「中二病」というネットスラングが流行っているらしい。
僕はパソコンを持っていないので詳しくは知らないけれど、ようするに「中学二年生」みたいな子供っぽい振る舞いをする大人を揶揄する時に使われる蔑称らしい。
厳密にはそれぞれ定義が違うかもしれないが、以前から「アダルト・チルドレン」や「ピーター・パン症候群」など、子供っぽい大人を分かりやすく形容した言葉、元々の学術用語から意味が崩れて殆ど蔑称化した言葉は色々あったが、「中二病」というネットスラングの場合、やはり「中二」という微妙な年頃をさして揶揄しているところにポイントがあるのだろうと思う。
人を揶揄する蔑称というのは所謂「汚い言葉」だが、しかし案外詩的というか豊かな言葉でもあり、複雑なニュアンスを含んでいたりするから、人の琴線に鋭く深く突き刺さる。特にネットスラングのような閉鎖的なコミュニティの中で使われる言葉の場合、それを共有する世代の気分を絶妙に表現していたりもするから、簡単には軽視できず、とても興味深いと感じる。
などと人ごとのように語る僕も、三十過ぎのいい大人のくせに未だ人格の安定しない子供っぽい人間の一人なので、「中二病」という言葉が妙に胸に突き刺さってくる。
今だって軽く目を閉じればひとつの声が聞こえてきて、その声を聞くと「中二みたいな気分」に引き戻されてしまうのだ。

「お前、どこからきたんだ?」
中学二年の時、僕は授業中に校舎の二階、便所の窓から飛び降りた。飛び降りた理由は自分でもよく分からない。「高所恐怖症」を克服したかったのかもしれない。
扉の向こう側、廊下を隔てた教室からは微かに授業をしている物音が聞こえていた。しかしそれは自分とは関係のない世界のように思えた。誰もいない便所の窓から地面を見下ろしているうち、飛びたいという衝動に駆られたのだ。
落下中、たまたま一階の廊下を歩いていた別の学年担当の教師が驚いて窓から顔を出し、地べたに蛙のようにひっくり返っている僕に気づいて、「お前、どこからきたんだ?」と言った。
衝撃と痛みで口がきけなかった僕は、咄嗟に空の方向を指さした。それを見たその教師は、「そうか」とか「わかった」とかそんなことをぶつぶつと呟き、自分の中での辻褄を合わせることができたのか、ひとり納得してそのまま歩いて行ってしまった。
それから僕は地面を歩腹前進、戦場における兵士のように這いずりながら保健室まで進み、保険の教師に二階から落ちたと一応の事情説明をして、車で最寄の病院まで連れていってもらった。
僕は背骨が折れていた。より正確にいえば、背骨を形成する連なったブロック状の一部分が落下の衝撃で圧縮され、潰れて折れ曲がっていたのだった。
治療の際、腰回りを固定するコルセットを着けてくれた看護婦さんが「お母さんが気の毒だ」などと言って、さめざめと泣いていた。僕はなにか弁解したいような気もしたが、思いつく言葉はなく、激しくなる動悸に息を切らし、脂汗を流しながら必死で立っているだけだった。
コルセットは歩けるようになってからもしばらくの間は着けていなければならなかった。コルセットを着けた姿を後ろから見ると、白い体操服から透けたラインがまるでブラジャーを着けているようにも見えたので、後日学校に戻ってから飛び降りた事と共にずいぶん恥ずかしい思いをした。
それにしてもあの教師の台詞、質問が忘れられない。あの質問はなかなか絶妙に哲学的だった。先生、僕はその質問の本当の答えが知りたいです。
未だにそんなことを思う僕はやはり重度の「中二病」なのかもしれない。

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「トンマホーク号の冒険」開演中!  梅田 喬(うめだ たかし)
プロット芝居「トンマホーク号の冒険」が先週の土曜日からはじまりました。

物語の説明と、打ち合わせのみで臨むこの舞台は、役者にとっても見ている人に とっても緊張感のあるものです。

その日によって言うことが変わるので、一瞬一瞬の動作や表情がヒントになって 、お互いのやりたいことを受け取り、さらに膨らむようにまたアイデアを出して いく。

そんな駆け引きを見て楽しんでもらえたらなぁと思っております。
もちろん、プロット芝居なので、与えられた設定の中で役者がどれだけ魅せられ るのか、その辺りも包み隠さず感じていただけます。

とはいえ・・・
同じ設定の中でどれだけ自分が工夫して面白いものを見せられるのかというのは 、本当に難しいことです。
そこで逃げるも立ち向かうも本人次第、ますます役者の責任というものの重さを 感じている次第です。

さて、今週末も残り2ステージあります!
どこまで自分が楽しんで面白いものをつくりあげられるのか。さらなる高みに挑 戦です。

 
 
 
 

■編集後記■[高橋茶太朗]
◆「トンマホーク号の冒険」ご来場いただきありがとうございました。今週末も本番です。多数のご来場お待ちしております。
◆先週までのオルガンヴィトーの動き
 トンマホーク号の冒険、1週目終了。
◆26日(火)高橋茶太朗、30(土)水口真光の文章を追加。 ◆このコーナーに対するご意見、ご要望、苦情などはこちらから。   クリック   するとメールソフトが起動します。

 
 

2011年 7月18日(月)(6号)[7月21日(木)Rev.2)

 
 

「」  ロキ不二稿(ろき ふじわら)

「カーくん」  高橋 茶太朗(たかはし ちゃたろう)
オルガンヴィトーには猫だけでなく、飛べなくなったカラス(カーくんと呼んでいます)も居ます。野鳥なので、飼う事は禁止されているので、保護しているという状態です。
他のカラスに突っ付かれてケガをし、飛べなくなっていたところを拾ったのですが、鳥専門の病院に連れていったところ、骨には異常がないとのことだったので、治ったら放そうと思っていたのですが、二、三日すると、左の翼がだんだん下がってきて、さらには、鬱陶しいのか、その翼を自ら突付きはじめて、左翼がボロボロになってきました。あわてて、病院に連れて行くと、どうやら亜脱臼していたようで、神経がもう通っていないとのこと。それで、手術してもらって、片羽となりました。
一つ屋根の下で暮らしているので、仲良くしたいのですが、いっこうになつく気配もなく、6年が経ちました。
まだ子供のカラスだったら違ったかもしれませんが、既に大人のカラスでした。
先生にオスかメスか聞いたのですが、レントゲンを撮らないと分からないとのこと。では、カラス同士ではどうやって見分けているのか尋ねると、見分けているのかどうかも分からないとのことでした。それで、なんとなく、カーくんと男性風に呼んでいます。
頭がいいからすぐに慣れると言われたのですが、人間の思うようにはいきません。

さて、今週末は「宇宙船トンマホーク号の冒険」です。コメディータッチではあるものの、皆それぞれが、自分の言葉で、生命のことについて考え、喋る、大変面白い作品となっております。たくさんのご来場心よりお待ちしております。

[雑学]大人と子供のカラスの見分け方→子供:くちばしの中が赤い。大人:くちばしの中も真っ黒。
夏は暑くて、口を開けていることが多いので、観察してみましょう。
本当にカラスは真っ黒です。舌まで黒いのには驚きました。唯一、まばたきすると、瞬膜なのか、まぶたなのかは分かりませんが、白いです。

「南国の鳥」  塔嶌 昭三(とうじま しょうぞう)
下高井戸へ自転車で向かう途中。日大グランドあたりの団地の並木を通ると、日本の野鳥らしからぬ緑の鳥達を見る事がある。
カラス位の大きさでインコの様に緑色の鳥達は、どう見ても南国の鳥である。
何でこんな所にたくさんいるんじゃあ?
温暖化で生態系が変わった?
ペットが逃げ出した?
多分、両方ありで、住み着いて繁殖したのだろう。
冬は葉のない木々に緑の体を不釣り合いに留めているし、今頃は緑の葉に隠れ姿は見えないが、聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえて来る。それは、まるでジャングルのようだ。

「何を見ても何かを思い出す」  水口 真光(みずぐち まさみつ)
何を見ても何かを思い出す、そんなタイトルの小説があった気がする。たしかヘミングウェイだったか。
僕は今、毎日バイトが終わると『青の奇跡』に通い、『宇宙船トンマホーク号の冒険』というお芝居の準備と稽古をしている。オルガンヴィトーの一員として芝居に関わらさせてもらうのは三度目で、二度目の時に『宇宙船トンマホーク号の冒険』をやり、『青の奇跡』を一緒に作ったのだった。
そして僕は日々、何を見ても何かを思い出している。
当時の自分を思い出すのは辛い。しかし甘い感傷ではなく、乗り越えたいと思える記憶と向き合える機会に恵まれ、有り難いことだと思う。
言葉ではなく、行動でしか、自分を許すことは出来ないのだ。ほんの少しでいい、「前に進んだ」という感触を掴み取りたい。

今週末から、『宇宙船トンマホーク号の冒険』始まります。以前観たことがある方も、今回はじめての方も、是非宜しくお願い致します。
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「プロット芝居のむずかしさ」  梅田 喬(うめだ たかし)
来週末に迫った「トンマホーク号の冒険」の稽古が連日続いております。

プロット芝居なので、台詞は役者が考え、その時に応じてひねり出します。
なので、おそまつな台詞を言えば役者としての力量を問われるわかりやすい芝居でもあります。

これまでいかに素敵な台本に支えられていたのか、骨身にしみております。
台詞ひとつ生み出すのに、どれだけのエネルギーと感情が必要なのか、またそれが見ている人に伝わり、共感してもらえるのか、そのむずかしさを痛いほど感じています。

役者として物語と演じる役を魅せるものにし、そのためには役の心が本気で動いてないといけない。
こうやって書いてると当たり前のことなんだけど、そのあたりまえが一番できてないのだと痛感しています。

ただ、やらなくては。必ず面白いものをつくってみせます!

 
 
 
 

■編集後記■[高橋茶太朗]
◆「トンマホーク号の冒険」今週末、本番です。
◆東京は毎日暑いです。まだがんばってエアコンなしです。
◆今日の東京、夜のこの時間は若干涼しい風が心地よいです。
◆先週までのオルガンヴィトーの動き
 トンマホーク号の稽古真っ只中。
◆7月14日(木)、高橋茶太朗、水口真光の文章を追加しました。
◆このコーナーに対するご意見、ご要望、苦情などはこちらから。   クリック   するとメールソフトが起動します。

 
 

 
 

2011年 7月11日(月)(5号)  [7月14日(木)Rev.2]

 
 

「保険」  ロキ不二稿(ろき ふじわら)
余裕もないのに、まさかの時を用心して、十年ほど前から保険に入っている。
勿論、人並みにはゆかないから、掛け捨ての都民共済だ。
息子と自分の分合わせて月々八千円。
掛け捨てなんて勿体ないとアドバイスを受けたこともあって、少しは考えたこともあったが、
結局、普通の保険は月々の支払額が高くて手が出ない。
おまけに大体の保険が六十五歳とか七十歳で終わりで、それ以後の保障が無い。
うちの家系は長寿で、普通にしていれば、八十歳はこえる。
老衰による病や怪我は保険の保障が終わってからの確立が高い。
大病も怪我も無く生きてきたもんだから、高い保険料を払っても元を取るような気がしない。
だから、安い掛け捨て共済なのだが、毎月引き落とされる八千円が、ときどき惜しくなる。

しかし、ふと、今朝、
結局、使うことなく、保険料を支払い続けて終わるのは、幸せなことと気付いた。
自分勝手に暮らす私のわずかな保険料が、怪我や病で必要な人に使われてゆくのも、有難いことだと。
ケチくさいわたしの自分納得の言い訳か。

「にゃんこ保護」  高橋 茶太朗(たかはし ちゃたろう)
今週は仔猫と若い猫を保護しました。
近所の公園でキジトラ柄の仔猫がうろちょろしているという情報あり。日曜日、早速ワナで捕獲しようとしたのですが、エサにつられ、恐る恐るワナの中に入ってくれるも、体重が軽すぎるせいで、ワナの扉が閉まらず! で、その日は断念。
月曜は姿は見えず、火曜日、また発見。
今度はワナに入ったら、こちらで扉を閉めれるよう工夫して臨んだのですが、前回でワナに慣れたのか、オソロオソロでなはく、おおはしゃぎで入って来たため、軽くても自動的に扉がバタン。難なく捕まえることができました。
さらに、その仔猫のキジトラと遊んでいた、アメリカンショートヘア(アメショ)柄のメス猫も捕獲しました。彼女は公園には最近まで居なかった猫で、やたらと人懐っこいので、恐らく捨てられたのでしょう。見た感じ歳は1歳ぐらいでしょうか?
病院に連れて行ったところ、仔猫のキジトラは猫エイズ、白血病ともに陰性。アメショ柄の方は猫エイズに感染っていました。
アメショ柄のアメちゃんは避妊手術も無事終了。気の強いアメちゃんは、元気いっぱい、古参のにゃんこたちをものともせず、既に我が物顔で暮らし始めております。
仔猫のキジトラちゃんは今度、譲渡会で里親を探してもらえることになりました。

さて、先週も書いたキジコ、食欲が出て来て良かった良かったと思っていたのですが、血液検査をしてもらったところ、さらに悪化しておりました。あれだけ痩せているにもかかわらず、コレステロール値がものすごく高いのです。結局腎臓が全然機能していないようなのです。がんばれっ、キジコ。

「同じ顔ばかり」  塔嶌 昭三(とうじま しょうぞう)
幹生の小学校の保護者会などに行くと、当然お母さんばかり来ているのだが、皆さん同じ顔に見えてしまう。
昔は初対面の人の顔と名前を覚えるのは得意なほうだったはずだけど、今は4種類位で皆同じに感じる。
でもこれは母親に限らず、劇団などで大勢若い女の子と知り合うと、みいんな~同じ顔。むしろ、こちらの方がヒドいかもしれない。
やはり、歳と共に脳ミソが衰えているのだろうか?

「熱中症と岡本太郎」  水口 真光(みずぐち まさみつ)
仕事中、熱中症になりました。
熱中症といっても倒れたりした訳ではないので、初期症状くらいのごく軽いものではあったと思うのですが、作業中、これはちょっとまずいかもしれないと思った時には既に遅く、平行感覚がなくなり気持ち悪くなってきてしまい、すぐに休ませてもらったので大事には到りませんでしたが、回復後もしばらく頭痛が止まらず、けっこうかなりヤバかったです。
これからがまさに夏の本番になるので、水分と塩分の補給を小まめにとるなどして対応していかなければと思います。
それにしてもなんというか、本当に毎日暑い、ですね。
岡本太郎先生ではありませんが、日々「何だ、これは!」と太陽に向かって叫びたいような、そんな気分であります。
しかし、思わず「何だ、これは!」と叫びたくなるような驚き、「新鮮な真新しい驚きと共に世界と向き合う」、日常に埋もれた様々な物事を再発見する、ということが芸術の目指すべきひとつの目標なのだとしたら、僕も一瞬だけその境地を、「芸術」や「表現」などとは一切関係なく思えるビン回収の現場で、さりげなく垣間見ているのかもしれません。

話しはすっかりトビますが、岡本太郎先生といえば、以前知り合いの女の子と二人プラネタリウムに行き、その同じ敷地内で岡本太郎展もやっていたので、入って見たことがありました。
そこで僕は彫刻や絵画といった、先生の作品の数々をはじめて拝見させて頂いたのですが、正直、どう評価すればよいのか何時間眺めてもまったく分かりませんでした。
「何だ、これは!」と叫ぶどころか呟くことさえできず、僕たちは終止無言のまま建物を去り、互いの家路についたのでした。
小市民の僕は、これまでそのことを誰にも言わず胸のうちにそっとしまっていましたが、今そのことを書いてしまい、評価の高い芸術作品を「分からなかった」と素朴に告白するのもまたひとつの勇気かなと、そう思ったりする次第であります。
日常の様々な場面でも、感じたことを感じたまま形にして伝えるというのは大事なことで、誰かに「空気の読めない人」と言われようと後で自分の間違いだったと気づくことになったとしても、基本的な姿勢としてやはりそれは必要なのではないでしょうか。
たとえば、王様が本当はホントにちゃんと立派な服を着ていたのだとしても、自分の目に裸に写ってそれをおかしいと感じたのならば、「王様は裸じゃないか!」と前のめりに叫んだっていいじゃないか、そんな風にもまた思うのであります。
それはつまり「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」みたいなこと、……ではないですかね、やっぱり。

なんだかずいぶんと取り留めない文章になってしまいましたが、これも恐らく熱中症の影響なのだと思います。
いやしかし、完全に言い訳ですが、文章がいつもよりもさらにたどたどしいのには、他にもちゃんと理由があるのです。
近々はじまる『宇宙船トンマホーク号の冒険』というお芝居は、なんとプロット芝居であり、筋書きだけで台詞が一切ないのです。いったいどうしたらよいのでしょうか。いや、なんとかするしかないのです。
次々と襲い掛かる過酷な試練に、僕はまた「何だ、これは!」と叫びたいような、そんな心境であります。
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「目立ちすぎる主役は困る」  梅田 喬(うめだ たかし)
トンマホーク号が完成しつつあります!
つくる程に、早くこの主役と共演したいという気持ちが湧いてきております。

可愛いなぁ、大きいなぁ、でかいなぁ、本当にでかいなぁ。
あれ?演技エリアがないぞ…

主役のトンマホーク号が存在感を出せば出すほど、役者の動ける範囲がなくなることに今日気づきました。

少し主役が目立ちすぎでは…
そうこうしてる間に客席づくりがはじまり、席数限定公演とはいえ、客席を確保するのに苦心している次第です。

なんとか客席を組んだものの、改めてトンマホーク号の存在感に圧倒されています。

この主役に負けないように役者が演じなくては!

プロット芝居だけど、舞台セットは本気の「トンマホーク号の冒険」。
席数超限定のためチケットはお早めにお買い求めくださいませ!

 
 
 
 

■編集後記■[高橋茶太朗]
◆「トンマホーク号の冒険」稽古開始そうそういきなり佳境です。
◆東京も梅雨明けしたようです。あまり降らずじまいで明けてしまいました。いや~暑いです。まだがんばってエアコンなしです。周りでも熱中症ぎみでダウンしている人がいます。水分補給と塩分補給で熱中症を回避しましょう。
◆今日の東京、夜のこの時間は若干涼しい風が心地よいです。
◆先週までのオルガンヴィトーの動き
 トンマホーク号の製作中。ほぼ完成!
◆7月14日(木)、高橋茶太朗、水口真光の文章を追加しました。
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2011年 7月 4日(月)(4号)  [ 7月 7日(木)Rev.2][ 7月 8日(金)Rev.3]

 
 

「」  ロキ不二稿(ろき ふじわら)

「エチュード反省とにゃんこ大脱走」  高橋 茶太朗(たかはし ちゃたろう)
7月2日(土)にエチュードの発表会がありました。常に今在る自分を超えたいと思い、命一杯、全力でやるのですが、終わってしまえば、ただ、勢いだけの、なんとなくの雰囲気で演ってしまっていたなと反省ばかり残るエチュードでした。

さて、話は変わりますが、発表会の後、飲み会となり、翌日の早朝、御前様でオルガンヴィトーに帰ってくると、ネコが3匹、脱走していました。
皆、家と庭は出入り自由なのですが、交通事故や喧嘩防止のため、庭を網で覆っているので、大きなうさぎ小屋のような一風変わった佇まいの建物となっているオルガンヴィトーなのです。
なぜか網戸が開いており、まが茶、マーブル、キジ太の姿がありません。
まが茶は、家の周りをグルグルするだけで、呼んでも入って来ようとはしません。まが茶はもの凄く怖がりなので、こちらが近づけば、逃げてしまいます。
マーブル、キジ太の姿は全く見えません。近所の野良猫と喧嘩になり、追われて逃げ、帰り道が分からなくなってしまったのかもしれません。
その日は結局、誰も帰ってきませんでした。
翌、月曜の早朝、お腹を空かせたのか? キジ太が網戸の外から「ニャー、ニャー(開けろー、開けろー)」言って、無事帰ってきました。
依然、まが茶は家の周りにいるのは分かっているのですが、入って来ようとしません。マーブルは姿すら見えません。
その夕方、これもお腹を空かせたとみえて、まが茶を網戸の前まで餌で釣って、家の中に入れることができました。マーブルの姿はまだありません。
そして、日も変わろうとする、ちょうど、この週刊オルガンヴィトーを更新している最中、雷さんがごろごろ鳴り、雨が降り始めたら、何処に居たのか? マーブルが帰ってきました。
とりあえず、皆、帰って来て一安心です。

さて、先週書いたキジコですが、点滴と薬の効果か 食欲もだいぶ戻ってきて、やや調子は良さそうで、これまた一安心です。

「おじぎ草」  塔嶌 昭三(とうじま しょうぞう)
ベランダで育てている朝顔のつるが、1日で手すりに巻きついているのを見て、
「不思議なものだ、まるで生き物のようだ」と思う。
もちろん生き物で間違い無いのだが、ふと思い出す。
「そういえば子供の頃、おじぎ草によく触ったなぁ。」
昔は東京でも道端によく生えていて、歩きながら次々と触れて、シュンと葉が閉じていくのを見ていたものだ。それがいつの頃からか全然見かけなくなってしまった。
それから歩いていて、たまにそれらしき草を見かけるとツンとつついてみるのだが、ピクリともしない。
もう何処にも無くなってしまったのだろうか? また御辞儀する様を子供にも見せてやりたいものだ。

「覚書」  水口 真光(みずぐち まさみつ)
なにかで読んだ話によると、とある詩人はかつて恋人に宛てて書いたラブレターの一節を抜粋し、それに少し手を入れて作品として詩集に載せてしまったのだそうだ。
勿論、自分で書いたものだから盗作ではないし、贈った相手以外誰からも文句を言われる筋合いはないのだろうけど、さぞかし「作品にしたいからラブレターを返してくれ」と頼まれたその元恋人はびっくりし、呆れただろうと思う。
しかし僕はそうしてしまう詩人の気持ちが、なんとなく分かる気がする。いい作品を本気で書きたいと願ったら、それくらいのことはざらにある、しょうがないことですよねと、なんだか共感したくなるのだ。
そうは言うものの、感情を編集したり再構成したりと、あれこれいじくりまわしてしまう「表現」や「芸術」は罪深く、業が深く、とりあえずなんだか後ろめたい行為にも思える。
「研磨された虚構の中に、現実から滑り落ちた真実が現れる」……なんて言えば聞こえはいいが、やはりその行為はかなり狂気じみたもの、「悪」とまでは言わなくとも暗い負の感情をはらんでいるのではないだろうか。たとえばそれは、ピノキオという人形に本物の命を願ってしまったゼペットという老人の孤独と狂気と同じように。
そういえば、詳しくは覚えていないが、物語の終盤でピノキオは鯨(鱶?)に飲み込まれたゼペットじいさんを助けにきたのだった。そこにはきっと作者自身の投影があった筈で、どんな寓意が込められていたのか、考えてみなくてはならないかもしれない。
しかしまた、僕はうっかり「観客の目線」という重要なポイントを忘れて考えてしまっている。 やはり舞台裏はどうでもよく、観客の目に触れる作品がすべてであり、観る側が虚構を越えた真実を見出だし心動かされるものがあればそれでいい、……のだろうか。
僕の取り留めない思考は出口のない袋小路をぐるぐると廻り続け、やがて面倒臭くなって投げ出してしまう。だけどその疑問符は常に頭のどこかにはあって、せっかくこうして何か書けるスペースを与えて貰っているのだから、「後ろめたさと恥ずかしさ」を一応片隅に意識しつつ、舞台上で行われる表現とはまた別に、言葉という道具を使っても色々試してみたいと思う。

今はあまりしなくなったが、以前は悶々とする感情を整理する為よく文章を書いていた。
人に読んでもらうことをほとんど意識していないので、詩のような、散文詩みたいな形式になっているものが多く、その内容はだいたいが殺伐としている上に支離滅裂で、被害者じみていたりもするから、読み返すたび我ながら子供っぽいなと恥ずかしくなる。
しかしまた同時に、ストレートに浮かぶままの言葉を綴っている分、これはこれでひとつの表現の土台になるんじゃないかと、そう思ったりもするのだ。
そんな訳で、せっかく書いたものがあるから勿体ないとか、そういうことなのかもしれないけれど、ひとつの試み、表現の模索として、恥の意識にまみれつつ以前書いたものに少し手を入れ書き直してみたいと思う。
ぐだぐだと言い訳がましく前置きしましたが、水口の「週間オルガンヴィトー」は身辺雑記を交えつつ、そんな感じでもいってみようかと思います。願わくば「変な形してるけど食べられなくもない、珍味」ぐらいにはなりますように。では、また来週。
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「他人を見て自分を知る」  梅田 喬(うめだ たかし)
はじめに、先週号の記事を読んで下さった方から感想のメールをいただきました。
読んでくださってる方がいるという実感が湧いて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました!
世界発信だけど、見られてないとやっぱり意味がないですもんね…。
これまでにスペインの方からのメールがあったという話も聞いております、ネットで世界がつながるとは、まさにこのことですね。

さて、オルガンヴィトーはエチュード稽古の発表会が先週末にありました。
無事に終わってホッとしております。

だってお客様も呼んで、客席も組んで、幕も吊って、音響も照明も合わせた本格的なものでしたから。緊張も随分しました。

ダブルキャストで同じ台本を使ってやったので、否応なしに比べられます。
そうなると感想の段でやっぱり気になる自分のこと。
とはいえ、相手のお芝居を見るのも勉強になると、強く感じました。
他人を見て自分を知るというのは、いくつになっても続くことなんですね。
課題になることや、盲点だったところがあり、次に活かせる充実したものになりました。

そして休む間もなく、今は7月公演「トンマホーク号の冒険」の主役である、トンマホーク号が組み立てられています。
広大な宇宙を彷徨う一隻の宇宙船が、堂々と、かっこよく、間抜けな感じに出来上がっていっております。どうぞお楽しみに!

 
 
 
 

■編集後記■[高橋茶太朗]
◆エチュード発表も終わり、只今「トンマホーク号」を製作中。
◆大変暑い日が続いております。エアコンなしでがんばっておりますが、いやはや暑いです。皆様、くれぐれも熱中症にはお気をつけ下さい。
◆上記のように、書いていた途端、東京は雷さんと共に雨がっ!。これで、少しは気温が下がってくれれば、助かります。
◆先週までのオルガンヴィトーの動き
 トンマホーク号の製作中。
 ワークショップのエチュード発表(7/2(土))がありました。
◆7/7(木)、高橋茶太朗、水口真光の文章を追加しました。
◆7/8(金)、水口真光の文章の誤字を訂正しました。
◆このコーナーに対するご意見、ご要望、苦情などはこちらから。   クリック   するとメールソフトが起動します。

 
 

   
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